- 灘井社長のひとりごと
- 2025.05.04
灘井社長のひとりごと113話『こわれた千の楽器と経営』
すべての人を家族と思い歩んでいる灘井です。
今日は、子どもの朗読宿題を聞きながら、子どもから大切なことを教わったと感じた出来事をご紹介します。
小学校4年生の教科書に掲載されている「こわれた千の楽器」という物語があります。
この物語を聞いて、会社経営も、たくさんの人が暮らす社会も、根底では同じではないかと感じました。
私が気づいたこと――
それは、会社とはまず経営者自身が完璧ではなく、また、完璧な人材ばかりが集まっているわけでもないということ。
経営は、お互いの足りないところを補い合いながら力を合わせ、サービスをつくり、届け、運営している。
「こわれた千の楽器」の物語は、まさにそのような姿と重なりました。
ひとりでは難しいことも、信じ合い、協力し合えば、美しい音楽のような力を生み出せるのだと、改めて感じました。
このブログから少しでも優しい視点が生まれるきっかけになれば嬉しく思います。
「こわれた千の楽器」
ある大きな町のかたすみに、楽器倉庫がありました。
そこには、こわれて使えなくなった楽器たちが、くもの巣をかぶってねむっていました。
あるとき、月が倉庫の高まどから中をのぞきました。
「おやおや、ここはこわれた楽器の倉庫だな。」
その声で、今までねむっていた楽器たちが目を覚ましました。
「いいえ、私たちはこわれてなんかいません。働き疲れて、ちょっと休んでいるんです。」
チェロが、まぶしそうに月をながめて言いました。
そして、あわてて、ひびわれたせなかをかくしました。
「いやいや、これはどうも失礼」
月は、きまり悪そうに、まどからはなれました。
町は月の光に包まれて銀色にかすんでいます。
月がいってしまうと、チェロはしょんぼりとして言いました
「私はうそを言ってしまった。こわれているのに、こわれていないなんて。」
すると、すぐ横のハープが、半分しかないげんをふるわせて言いました。
「自分がこわれた楽器だなんて、だれが思いたいものですか。わたしだってゆめの中ではいつもすてきなえんそうをしているわ。」
「ああ、もう一度えんそうがしたいなぁ」
ホルンが、すみの方から言いました。
「えんそうがしたい。」
トランペットも横から言いました。
「でも、できないなぁ。こんなにこわれてしまっていてできるはずがないよ」
やぶれたたいこが言いました。
「いや、できるかもしれない。いやいやきっとできる。例えば、こられた十の楽器で一つの楽器になろう。十がだめなら十五で、十五がダメなら二十で一つの楽器になるんだ」
ビオラが言いました。
「それは名案だわ。」
ピッコロが言いました。
それならぼくにもできるかもしれない。
モッキンがはずんだ声で言いました。
「やろう」
「やろう」
バイオリンや、コントラバス、オーボエ、フルートなども立ち上がって言いました。
楽器たちはそれぞれ集まって練習をはじめました。
「もっとやさしい音を!」
「レとソは鳴ったぞ。」
「げんをもうちょっとしめて・・・・・・うんいい音だ」
「ぼくはミの音をひく。君は、ファの音を出してくれないか。」
毎日毎日練習が続けられました。
そして、やっと音が出ると、「できた。」「できた。」
おどり上がってよろこびました。
ある夜のこと、月は、楽器倉庫の上を通りかかりました。
すると、どこからか音楽が流れて来ました。
「なんときれいな音。だれがえんそうしているんだろう。」
月は、音のする方に近づいていきました。
それは、前にのぞいたことのある楽器倉庫からでした。
そこでは、千の楽器がいきいきとえんそうに夢中でした。
こわれた楽器は、一つもありません。一つ一つがみんなりっぱな楽器です。
お互いに足りないところをおぎない合って、音楽をつく、っているのです。
月は、音楽に押し上げられるように、空高く上がって行きました。
「ああ、いいなぁ」
月は、うっとりと聞きほれました。
そして、ときどき思い出しては、光の糸を大空いっぱいにふき上げました。